だから、わたしがあなたがたに書きおくったのは、不義をした人のためでも、不義を受けた人のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱情が、神の前にあなたがたの間で明らかになるためである。
わたしが書きおくったのも、あなたがたがすべての事について従順であるかどうかを、ためすためにほかならなかった。
自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。
なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。
なぜであるか。わたしがあなたがたを愛していないからか。それは、神がご存じである。
そこで、たとい、あの手紙であなたがたを悲しませたとしても、わたしはそれを悔いていない。あの手紙がしばらくの間ではあるが、あなたがたを悲しませたのを見て悔いたとしても、
しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売物にせず、真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである。